Road to the Clouds
5000メートルの峠を越える
2007年9月 アルゼンチン・カファジャテ~ブエノスアイレス
目次
ランドローバー・ジャパンの元広報室長森川修さんから誘われて、アルゼンチンを走りに行った時の記録。
“南北アメリカ大陸で、クルマで越えられる最も高い峠”である標高約5000メートルの「Paso Abra el Acay」を、ランドローバー・ディスカバリー3で越えてみようというのが旅の目的だった。
大気圧が海面の約半分しかない標高5000メートルの高地では、高山病に罹る。
僕も、罹った。
クルマだって、無事ではない。
大気圧が低くなるのだから、シリンダーに送り込まれる空気も少なくなるはずだ。
ディスカバリー3も“高山病”に罹ったが、難なく5000メートルを上り切った。
“下り”でも、ディスカバリー3は本領を発揮した。
電子制御エアサスペンションやヒルディセントコントロールなど最新のテクノロジーを駆使して、どのようにアンデスを駆け回ったのか。
また、初めて訪れる南米アルゼンチンの魅力を堪能できた旅だった。
●1 高山病に罹った
酔っている。
酒も飲んでいないのに、酔っぱらっている感じがする。
身体中の筋肉が弛緩して、立っているのがバカらしい。
腰を下ろして、続きを飲みたいくらい。
2、3歩歩き出すと、フラフラしてきて、ちょっと頭痛がする。
飲み過ぎた時と同じように、身体の軸がグラグラ。
ヘンな感じだ。
高山病を初めて体験したら、酔っぱらったみたいだった。
ランドローバーがアルゼンチンで開催したイベント「Road to the clouds」に参加し、アンデス山脈を麓からディスカバリー3でドンドン登っていった。
アルピニストは、“高地順応”といって、高い山に登る時には、アタックの前に少しずつ身体を高い土地に順応させていく。
8000m級の山を狙う場合には、4000mより高い地点にベースキャンプを張り、標高の高い地点へ登ったり降りたりして、徐々に慣らしていく。
それもそうだろう。
“地に足が付く”という言葉があるように、人間は本来、平らな地べたにへばり付くようにして生きている動物であって、そんなに高いところで生活できるものではない。
にもかかわらず、僕らはクルマで一気に上がってきてしまっている。
大丈夫なのか!?
大丈夫じゃないかもしれない。
一緒に動いているノルウェーからの参加者のひとりが、また、ディスカバリー3を路肩に寄せ、飛び出すように降りてきて、吐いている。
本当に、大丈夫なのか?
高山病を回避する唯一の方法として、ランドローバーのスタッフから、「一日に4リッター以上の水を飲め」と、しつこく伝えられた。
体内の水分が不足すると、循環不全で末端の組織にまで酸素が運ばれなくなって高山病を発症する。
それを防ぐために、水分を十分に補給する必要があるのだ。
ディスカバリー3には大量のペットボトルが積まれ、意識して、たくさん飲んだ。
飲んだら出るから、小休止のたびにトイレへ駆け込んでいた。
しかし、3000mを超えるようになると、建物や小屋すらなくなるから、まぁ、みんなその辺で立ちション、連れションだ。
日本からアンデスの高地に来るまでの道のりは、遠かった。
首都ブエノスアイレスから、プロペラ機の国内線で2時間半北上し、カファジャテという村へ。
そこで一泊し、ディスカバリー3でアンデス山脈を斜めに登っていく感じで、北北西に走り続ける。
岩山の間の、踏み固められたグラベルを走る。
走り始める前のブリーフィングでも、走行中の無線からも、しつこく「車間距離を開けろ!」と言い渡された。
ノルウェーの他に参加している、スウェーデンやイタリアの連中だって、ふだんは自分の国では舗装路ばかり走っているはずだ。
グラベルでは、前のクルマが巻き上げた土煙で視界が遮られ、不安になってスピードを上げると、追突の危険性が一気に増す。
舗装路ばかり走っている僕らには、この怖さがなかなかわからない。
風で吹き飛ばされた土煙のちょっと先の方に、前のクルマが見えるくらい離れて走らなければならないのだ。
ついつい車間を詰め過ぎてしまう。
それを改めるのが、アンデスにふさわしいドライビングの第一歩となった。
●2 岩と山と太陽光線
カファジャテからの道は、ルタ(ルート)40。ブエノスアイレスから、アンデスを越え、ボリビアとの国境まで続いている。
ブエノスアイレスからしばらくは舗装された高速道路になっているらしいが、僕らが走り始めたカファジャテの街を外れると、すぐに未舗装のグラベルに変わった。
グラベルの周辺は、灌木がまばらに生え、岩混じりの砂地が続く。
その向こうには山々がそびえている。
土や岩は、まるで今年のスーツの流行色のようなグレーとベージュの中間の色に見える。
ネバダやユタなどアメリカ合衆国中西部の赤褐色とも、中国西部からカザフスタンにいたるタクラマカン砂漠や天山山脈の黒ずんだ土壌とも異なっている。
雲はなく、強烈な太陽光線に照らされて、実物以上に、白っぽく見える。
時々、ルタ40を外れたコースを走る。
わざと、過酷なところを通るのだ。崖を降りたり、急な傾斜の小山を登ったり、川を渡ったり……。
そうしたところは、もちろんランドローバーのスタッフが下見をしているのだろうけれども、ディスカバリー3の悪路踏破能力には舌を巻いてしまった。
立っていられないくらい急な斜面、連続する岩、流れの急な川などを、ゆっくり、しっかり越えていく。
ディスカバリー3に限らず、道なき道をオフロード4輪駆動車でクリアしていく場合には、コース取りを考え、慎重に進まなければならないことは言うまでもない。
だが、ディスカバリー3は、この“ゆっくり、慎重に”走らせることを、とても重視してクルマ作りがなされている。
まず、よく動くサスペンション。
サスペンションをエアスプリング&ダンパーユニットと組み合わせ、電子制御する傾向は、多くのオフロード4輪駆動車で認められる。
ディスカバリー3でも、その通り。
舗装路と未舗装路の両方で、乗り心地とハンドリングを両立するために貢献し、最低地上高を変えることによって、ラフロードの凹凸をクリアできる利点も大きい。
特に、最低地上高を上げた時の、サスペンションストロークが大きい。
そして、ストロークが大きいだけではなく、細かな動きへの追従性が高い。
大きなショックを懐深く受け止める一方で、小さな石を乗り越える際にも、サスペンションが石の直径分だけ滑らかに上下している。
大きな動きと小さな動きを同時にこなせている。
イベントでは、特別な悪路や高低差のある過酷な場面で、コドライバーは車外に出て、ドライバーを導く役割を果たす。
その際にタイヤとサスペンションを観察していると、ディスカバリー3の悪路踏破能力が高い理由が理解できた。
そのサスペンションの働き方が、とても細やかなのだ。
そして、エンジンとトランスミション、駆動系統を統合制御している「テレイン・レスポンス」と「ヒルディセント・コントロール」システムも、悪路で威力を発揮している。
テレイン・レスポンスは未舗装路を4パターンに分け、それぞれに最適なスロットル特性やギア変速を、クルマが自動的に執り行なうもの。
ヒルディセントコントロールは、急勾配や滑りやすい路面を下る時に、ドライバーのブレーキ操作ではなく、クルマが4輪それぞれのブレーキをコントロールするものだ。
どちらも、クルマが走行状態を検知し、最適のギアとスロットル特性、ブレーキなどを判断し、電子制御する。
効能は著しい。
かつての、エンジンとトランスミッションが電子的に結合されていなかった時代のようには、ドライバーの力量の差が現れにくい。
ビギナーでも、これらのシステムの力を借りることによって、エキスパートに近い走りができるようになった。
●3 最新のオフロード4WDとは
大事なことは、その先にある。
これらふたつのシステムは、どちらもセンターコンソールに位置していて、ロータリースイッチとノブで選択とON/OFFが行われる。
スイッチとノブを動かして、ドライバーが能動的に操作することに、意味を置いている。
悪路を前にしたドライバーは、必ずクルマを一旦停めて、考えを巡らす。
どこを、どう走ろうか、と。
ドライバーが自分の頭で考えるところから、運転はもう始まっているのだ。
ディスカバリー3は、テレインレスポンスとヒルディセントコントロールによって、ドライバーのスキルの違いによる悪路踏破力の違いを小さくしたが、判断の自由までは奪ってはいない。
どのラインを、どう走るかはドライバーが決めなければならない。
手助けはしてくれるが、自分で考えろというわけだ。
自律的であり、前向きでもある。
ディスカバリー3では、メカニズムだけでなく、ドライバーの心理領域にまで踏み込んだクルマ作りがなされている、と思った。
その晩は、山の中でキャンプ。
翌朝、ルタ40を再び北上する。カルチャキ・バレーやコロムなど、ワイン用ぶどう畑を過ぎていく。
日本ではチリが有名だが、アルゼンチンもワインの有数の産地だ。
チリは輸出に熱心だが、アルゼンチンは国内で飲み切ってしまうのだそうだ。
飲ん兵衛が多い。
本日の、というよりもこのイベント最大の目的は、南北アメリカ大陸でクルマで通過できる最高標高にあるPaso Abra del Acay峠を越えることだった。
ディスカバリー3で峠道をグングン上がっていくと、身体フラフラ、頭グラグラしてくるのと同じように、ディスカバリー3にも異変が現れた。
パワーが弱まり、明らかに加速が鈍くなってきたのだ。
気圧が低くなっているから、エンジンに送り込まれる空気も少なくなり、パワーダウンしている。
ディスカバリー3は、最新のコモンレール噴射システムを備えた2.7リッターV6ターボディーゼル・エンジンを搭載しているが、5000m地点では大気圧が海抜0m地点の約半分しかないので、違いは明確だ。
ただ、ターボチャージャーの過給が効いていれば低い地点と変わらず加速することがわかったので、コツをつかめた。
コーナー手前で減速する時に、なるべくエンジン回転数を落とさないようにするのだ。
フットブレーキよりも、6速オートマチック・トランスミッションのマニュアルモードを活用し、積極的にシフトダウンを行って、タービンブレードが勢い良く回り続けるように努めた。
ディスカバリー3のような最新型でなければ、こんなにハイペースで5000mにまで駆け上がってくれることなどできなかっただろう。
コモンレール・ターボディーゼルとエンジンとトランスミッションの電子&統合制御技術のたまものだ。
峠の標識には、4895mとあった。
僕らは、事前に許可を得ていたので、道路から外れ、山の緩やかな斜面をソロリソロリと登っていった。
ガーミンのGPSは標高が上がっていくのを1m単位で表示していく。
斜面には、ナイフのように鋭利な断面を剥き出しにした岩と石がゴロゴロしている。
ここでサイドウォールを切って、パンクだけは絶対にしたくない。
タイヤ交換なんてしたら、フラフラとグラグラが大爆発してしまう。
緊張してハンドルを握っていたら、頭に血が上って、ヒヤヒヤものだった。
●4 原初の光景に圧倒される
360度見渡す限り、およそ生命あるものが一切眼に入って来ない。
岩と石の荒野の上に、溶け掛かった雪がところどころに残っているだけだ。
草木はおろか、苔の類さえも生えていない。
標高5020mの高地には、強い風が吹いていた。
眼をどんなに凝らしてみても、人里も建物も見当たらない。
地球が誕生した時から、人の手が一切入らないと、こうなるのだろうか。
あるいは、宇宙の星とは、こんな感じなのだろうか。
自分の実存を無性に確かめたくなって、意味もなく“アアーッ”と虚空に吠えてみる。
立ち去り、速やかに人里に駆け込みたいか。
あるいは、この世のものとは思えない景色とひとつになれるまでたたずんでいるのか。
アルゼンチン最南端のリオ・ガジェゴスから北のボリビア国境まで、ルタ(ルート)40という長い道が縦断している。
ルタ40は、アンデス山脈を越える途中で「Paso Abra el Acay」という峠を通過する。
その峠こそが、“南北アメリカ大陸で、自動車で越えることのできる峠のうちで最も標高の高い峠”として有名なのだ。
峠の標高は、4895m。特別に許可を受け、ランドローバー・ディスカバリー3でゆっくりと、さらに高いところを目指して登っていった。
道があるわけではない。
轍とも呼べない、タイヤの踏み跡のようなものがうっすらと見える。
その轍のようなものに、ディスカバリー3のトレッドはギリギリ収まる。
少しでもハンドルを切ると、タイヤが踏み固められていない鋭利な角を持つ石の上を通らなければならなくなるから、なるべく直線を行くようにコース取りを行わなければならない。
ゆっくりとディスカバリー3を運転している限りは何も起こらないが、ドアを開けて降りた瞬間、クラクラッと来る。
身体の軸が定まらず、フラフラする。頭も痛い。
軽度の高山病だ。循環障害を起こさないために、つねにペットボトルから水を飲んでいる。
軽い高山病に罹りながらも、そこにしばらく留まりたかったのは、アンデスの大いなる絶景の力に引き止められたからだろう。
ランドローバーがアルゼンチンで行ったイベント「The Road to the clouds」は、4895mのPaso Abra el Acayを越えることがハイライトだった。
後ろ髪を引かれる想いでディスカバリー3に戻り、今晩滞在するサン・アントニオ・デ・ロス・コブレスへ向かう。
赤茶色の岩山の縁を舐めるようにして、ヘアピンカーブが連続するルタ40の急坂を土煙を上げながら駆け下りていく。
ランドローバーのスタッフは、ディスカバリー3の悪路踏破能力の高さを実証するために、時々、わざとルタ40を外れ、僕らに未舗装のラフロードを走らさせる。
●5 ヒルディセントコントロール
今では、他のクルマも標準装備するようになったヒルディセントコントロールだが、商品化したのは先代レンジローバーが最も早い。急な下り坂を前にして一旦停止し、センターコンソールの黄色いボタンを押す。
ヒルディセントコントロールをONにすると、ドライバーはブレーキペダルに足を乗せてはいけない。
ディスカバリー3の電子頭脳が、路面の傾きや滑りやすさを感知し、それに合わせて4輪それぞれに個別にブレーキを掛けていく。
ドライバーがあまりの急斜面に怖じ気づいて、唐突なブレーキ操作をして、タイヤをロックさせたり、最悪の場合は転倒にいたるのを防止する技術だ。
ヒルディセントコントロールは、ランドローバー自慢の「テレインレスポンス・システム」の一部を形成しているドライブ・アシスト・システムだ。
ルタ40を北方向に降りて行ったところにある小さな街が、サンアントニオ・デ・ロス・コブレスだ。
だいぶ下ってきたつもりだったが、車載のガーミンのGPSは、まだ標高3780mと表示している。大きめのロッジにチェックイン。
ランドローバーのスタッフからは、“ホステリア”と聞いていたので、日本の山小屋のような、窮屈で一時しのぎの宿泊施設を想像していたが、日本のスキー場にあるようなホテルより立派で、清潔な施設だった。
山の中の小さな村なので、さすがに食事の内容は質素だったが、そこはアルゼンチン。味は、なかなかだった。
富士山々頂よりも高いところなので、5000mよりも症状は軽くなったが、まだ頭がちょっと痛む。
だから、ディナーのテーブルに回ってきた美味そうな赤ワインもグラスに軽く一杯だけしか飲みたくならなかった。
同行の放送作家、小山薫堂氏と相部屋だ。
僕は、疲労が蓄積されているとイビキがひどくなるので、あらかじめ謝っておく。
お互い、機内で配られた耳栓を挿入して、就寝。
高山病は、脳と血液中の酸素が平地よりも少なくなることが原因で起こる。
夜中に、三度、頭痛で目覚めた。
その都度、水をたくさん飲むので、トイレにも出掛ける。
それを二人で繰り返すわけだから、安眠できるはずがない。
サンアントニオ・デ・ロス・コブレスは、鉄道ファンによく知られているらしい。
「Tren a las Nubes」(雲の列車)という高山列車の通過駅があるからだ。
列車は、ここから165km離れたサルタという町を出発し、チリ国境の町Socompaを往復している。
最高地点は、4220mにも。
現在、雲の列車は運休中だが、同じルートを行くバスツアーが行われているそうだ。
鉄チャンには、お気の毒ですナ。
●6 下りでも高山病が
翌日、ルタ40から外れ、ルタ51でサルタを目指す。
サルタに向けて、標高が下がり続けるに従って、景色も変わってくる。
巨大なサボテン群が連続する渓谷を越え、太く流れの激しい河を渡り、小さな村や町を通り過ぎて行く。
人のいるところでは、地元のオバさんが道行く旅行者のために、露店を出している。
手編みのセーターやキャップ、人形やキーホルダーなどの土産物を売っている。
どれも、地元の人たちが手作りしたとわかる素朴なものばかりなので、僕も、薄緑色の石を削って作られた小さなリャマの置物を買った。10ペソ(約400円)。
途中から、ルタ51は舗装路となり、自然とペースも上がる。
前を行く、ランドローバーのスタッフが乗るディスカバリー3が、時々、路肩に停まる。
そのたんびに、昨晩のホステリアで働いていたオバちゃんのひとりが降りてきて、吐いている。
可哀想に、何度か、それを続けていた。
あとで聞いたら、高山病で僕らが苦しんだように、反対のパターンで、ふだん高いところに住んでいる人が標高の低い(彼らからすれば)ところに来ると、濃い大気で息苦しくなってしまうのだそうだ。
オバちゃんには悪いけど、つくづく人間って、その土地、その風土に生きているものなのだなって実感する。
昔は、ルタ40もルタ51も、馬車や山羊に乗ってアンデスを越えていたから、下から行く人間にも、上から降りて行く人間にも、ゆっくりと身体を慣らしながら行っていたわけだから、そんなにキツくはなかったんじゃないか。
皮肉なことに、ディスカバリー3は、その卓越した悪路走破能力と舗装路での高速性能と快適性によって、アンデスを非常に速いペースで上下してしまった。
上りでは僕らが、下りではオバちゃんが、その副次的犠牲となってしまった。
昨日までアンデス山中の岩の上や川の中を、アクロバットのように越えていたのと同じクルマとは思えないほど、ディスカバリー3は、柔らかな乗り心地と静かな車内を保ちながら、ハイペースで飛ばして行く。
サルタは、大きな街だった。
街の中心部に入るのに、小一時間掛かった。
標高は1200mまで下りてきたから、もう頭痛はしない。
街の周辺の様子を見た限りでは、旧宗主国のスペインというよりも、フィリピンやメキシコの地方都市に近い。
片側4車線に増えたルタ51とは対照的に、それと並行して走る脇道は狭く、界隈はゴチャゴチャしている。
高級車も走っているが、その脇をノーヘル 2人乗りのバイクが2ストロークの白煙を盛大に巻き上げながら、スリ抜けていく。
街の中心部には、「7月9日広場」と呼ばれる大きな広場があった。
太く背の高いパームツリーがたくさん広場を囲み、ベンチがあちこちに配されている。
広場の周囲の建物は、どれもコロニアル風な立派なものばかりだ。
特に、カテドラルが素晴らしい。白とピンクの外観とは異なり、内部はゴールドの装飾が眩い。
●7 プジョー504に再会
人口約30万人のサルタには、さまざまなクルマが走っている。
アルゼンチンは南アメリカの国とはいえ、ヨーロッパの影響がとても強い。
だから、街を走るクルマにはドイツ、フランス、イタリアのクルマが多い。
地理的につながっているアメリカ車が少なくないのは当然だが、SUVやピックアップ、バンなどが中心だ。
日本車や韓国車は、欧米やアジアで眼にするほどの存在感は、ここではない
外国で、道行くクルマの“相”を眺めるのは、クルマ好きの楽しみだ。
アルゼンチンでうれしくなってしまったのは、往年のプジョー504が、元気に走っていたことだ。
タクシーでも、自家用でも、たくさん走っていた。
プジョーは、以前からアルゼンチンで現地生産を行っていて、504がフランス本国で生産を終了してからも、ずっと作り続けていた。
20年以上前に、僕は東京でディーゼルエンジン付きの504を気に入って乗っていたから、
とても懐かしかった。
最新の407とすれ違うところを見比べると、504のいかにスリムで小さかったことか。
ディスカバリー3とは、サルタでお別れだ。
世界で8番目に広い国土面積を持つアルゼンチンの一部を走ったに過ぎないかもしれないが、標高5020mまで上ったり、険しい岩山を越えたり、過酷なところばかりを走った。
ランドローバーの自信と、ディスカバリー3の実力の高さを思い知らされた。
このまま、ずっとアラスカまで北上し、ベーリング海を渡って、
◆本コラムは
『Motor Magazine』誌2008年6月号と7月号「クルマの「光」と「影」
標高5000mを走る自動車冒険記 前後編」に加筆と修正を加えたものです.