Transsyberia2008 

目次

再び、ロシアからモンゴルを股に掛ける競走に挑む
2008年7月 

ロシア・モスクワ~モンゴル・ウランバートル 

ロシア・モスクワからモンゴル・ウランバートルまで、14日間で7600kmを競うアドベンチャーラリー「トランスシベリア2008」に、2年連続で出場したチーム・ポルシェジャパン。前年の経験を活かして、どう闘ったのか?

 

1.ヴァイザッハ

トランスシベリアという、聞き慣れないラリーレイドの名前を初めて耳にしたのは、2006年12月、ポルシェのヴァイザッハRDセンターでの「モータースポーツ・フェスティバル」に出席した時のことだった。

毎年、12月に行われるこの催しは、ポルシェでモータースポーツに参加した世界中のすべてのレーシングドライバーの中から、成績優秀者を表彰し、スタッフや関係者の労をねぎらう。FIA格式のものだけでも、ポルシェが走っているレースは世界中で多岐に渡っているから、多くの表彰が行われる。

特別ゲストは、ロジャー・ペンスキー。永年、ポルシェをはじめとする世界中のマシンを用いて、自身のモータースポーツ活動を行っている、アメリカの“巨人”だ。このシーズンは、アメリカン・ルマン・シリーズのプロトタイプ・クラスにRSスパイダーを走らせ、チャンピンを獲得していた。

そのアメリカン・ルマン・シリーズでのRSスパイダーと911GT3RSRなどをはじめ、ポルシェは各国のトップカテゴリーに参戦している。IMSAのスポーツ・プロトタイプ・シリーズ、FIA・GTチャンピオンシップ。ヨーロッパやアジア・オセアニア圏での各国でのスポーツカーやGT選手権。もちろん、日本でのスーパーGTやスーパー耐久選手権など。

また、F1のサポートイベントとして行われるポルシェ・ミシュラン・スーパーカップや、カレラカップ、GT3カップチャレンジ等々。

他にも、数多くのレースでの活躍ぶりが、ヴァイザッハ研究開発センターのボス、ウォルフガング・デュラハイマーによって次々とと紹介された。

デュラハイマーにとってみれば、手塩に掛けたマシンの手柄を称え、ワンメイクレースの隆盛ぶりを示せる、この夜の達成感のいかに大きなものだったことだろうか。

トランスシベリアのことが取り上げられたのは、延々と続くサーキット・レースでの戦績紹介がいち段落したところだった。

「ポルシェは、10000km超のラリー・トランスシベリアでのクラス&総合優勝によって、完璧なオフロードパフォーマンスを示した。シベリアを横切る、長く、過酷な超長距離走行で、ほとんどストックの2台のカイエンSはその素晴らしさを身をもって証明したのだ」

デュラハイマーの背後のスクリーンには、モンゴルの平原を行くトランスシベリア仕様のカイエンSが、映された。そのワンカットだけ映され、スピーチは他の話題に移った。

短い紹介だったが、トランスシベリアというラリーレイドにカイエンSが出場し、優勝を果たしたことが印象に残った。

へぇ、そんなラリーレイドがあるんだ。どんなルートを採るのかナ。

主に先進国の大都市で人気のカイエンが、そんな、いかにも過酷そうな競技に出ているなんて知らなかった。ポルシェの狙いは、どこにあるのだろうか?

僕は、もう少しトランスシベリアについて聞いてみたかったが、デュラハイマーは、2007年の取り組み方などには一切触れることなく、次の話題に移ってしまった。

スピーチの最後に、デュラハイマーが強調していたのは、ポルシェのモータースポーツへの取り組み方だった。

「ポルシェがクルマを製造することの頂点に位置するのがモータースポーツ活動なのです」

市販している製品と密接な関連性を保ちながら、レーシングマシンも開発していく。市販モデルが突然変異したようなレーシングマシンだけが現れることはない。356も、911もそうやって発展してきた。モータースポーツと、ポルシェの市販モデルとの間には、切っても切れない関連がある。ならば、カイエンSがトランスシベリアなるラリーレイドに出ることによって、どんな意義と意味があるのか。

 

ヴァイザッハから戻り、年末年始の喧噪を東京でやり過ごすと、トランスシベリアのことは忘れ掛けていた。

「ちょっと相談があるので、お会いできませんか?」

旧知の写真家・小川義文さんからメールをもらったのは、2007年2月の終わり頃のことだった。

「8月に、“トランスシベリア”というラリーレイドがあって、ポルシェ・ジャパンが専用に仕立てたカイエンSを1台エントリーさせるんだけど、カネコさん、僕と一緒に出ませんか?」

小川さんは、かつてパリ・ダカール・ラリーに7回出場した他、ロンドン・シドニー・マラソンやファラオ・ラリーなど、海外の規模の大きなラリーレイドに豊富な出場経験を持っている。その小川さんにポルシェ・ジャパンからオファーがあり、ナビゲーター役のコドライバーを探しているという。

モスクワをスタートし、モンゴルのウランバートルまで、14日間で7000kmを競う。

スゴそうで、面白そうだけど、躊躇した。こちらは、モータースポーツの取材経験はたくさんあるが、出場したことは一度もないのだ。レースやラリーは、あくまで取材対象のひとつであって、自分がやるものではないと決めていた。小川さんが、かつてパリダカやロンドン・シドニーで組んだコドライバーでは、ダメなのだろうか。

「カネコさんは、何年か前に、自分のクルマでユーラシア大陸を横断した時に、ロシアを走ったことがあるでしょ。その経験が欲しいんだ。僕はロシアを走ったことがないから、想像すらできない。路面状況は? 治安は? 燃料補給は? 食事は?」

その時の様子は、モーターマガジン誌で2年にわたって連載させてもらった通りだ。

「これだけ長い距離になると、経験が一番モノを言う。おそらく、このトランスシベリアに参加する人たちの中にだって、ロシアを長距離走ったことのある人は、あんまりいないんじゃないかな。だから、カネコさんの経験は強味になるんだ。ラリー経験の無いことなんて、全然関係ないから」

そう小川さんに口説かれながら、トランスシベリアへの興味と関心が膨らんでいった。ラリー出場の経験が問われないのならば、ぜひ出てみたい。

クルマで未知の土地を旅したり、長い距離を走ることは、2003年にユーラシア大陸を横断した時の前後にも、経験している。“自動車の最も大きな存在意義は、自由に、自律的に移動できるところにある”と、つね日頃から唱えているわけだから、トランスシベリアに出場するということは、またそれを競技というもうひとつのカタチで実証することができるのではないか。

小川さんの誘いに対して、“面白そうなので、もっと詳しく聞かせて下さい”と返事をしたのが、始まりだった。

 

ポルシェ・ジャパンと打ち合わせを重ね、5月のライプチヒでのトレーニングに参加し、6月にはシュツットガルトを訪れ、ラリーカーのチェックを念入りに行った。

プロジェクトに携わっている人たちと接していると、このラリーレイドへの参加は、ポルシェにとって新しい試みのようにうかがえた。

2点ある。まず、参加メンバーの幅広さと多さ。1985年のパリ・ダカールに959プロトタイプで総合優勝したルネ・メッジや86年のファラオラリーで同じく959で勝ったサイード・アルハジャリ、アメリカのパイクスピークに何度も優勝しているロッド・ミレンなどの往年のトップドライバーたち。さらに、ヨーロッパ・ラリーチャンピオンかつWRCドライバーのアーミン・シュワルツ、ポルシェ・スーパーカップ・ドライバーのカルロス・セルマなど、現役の一流どころを走らせている。

その一方で、ラリー経験をまったく持たない僕のような各国のポルシェ・ディーラー経営者などの初心者を多数、出場させている。

もう一点は、トランスシベリア仕様のカイエンSはヴァイザッハの研究開発センターで製作されるが、プロジェクトを統括するのはモータースポーツ・セクションではなく、マーケティング・セクションである点だ。これが何を意味するのか。

「もともと、今は定年退職したハンス・リーデル副社長のアイデアなんですよ。“カイエンのパフォーマンスを長距離ラリーレイドなどで実証できないか?”って、よく話していました。“ヨーロッパからアジアのどこかまでずっと走って行けたら、素晴らしい”って」

カイエンは欧米や日本などで人気があるが、今後は経済成長の著しい中国やロシア、インドなど、いわゆる新興国での売り上げ台数の増加が見込まれている。新興国市場でのSUV人気は、先進国のそれを上回るほどだ。リーデル元副社長のアイデアは、その辺りを見据えたものなのだろう。

カイエンのような、オンロードを重視したオフロード4輪駆動車(という言い方も妙だが)の性能が、ほぼ飽和したと断言して構わないだろう。プロでなくとも、その性能を引き出せるようになったからこそ、リーデル元副社長は思い付いたのだろう。クルマが発展途上にあったのならば、あらためて“実証”しなくても、ユーザーの日常の使用過程とコンペティションシーンで示されていた。それがすべてだった。

ルマン24時間やパリ・ダカールをはじめとして、ポルシェはトップカテゴリーのレースやラリーレイドに、少数精鋭の一流どころを送り込み、勝利を独占してきた。その方法論は、ペンスキーにRSスパイダーを供給するのをはじめとして、現在でも続いている。その成果が、ヴァイザッハの「モータースポーツ・フェスティバル」で披瀝されていたわけだ。

そこに、モータースポーツへのもうひとつの方法論が試みられているのが、トランスシベリアへの取り組みといえるだろう。ほぼ無名の草イベントに、一流とビギナーが乗るカイエンSを24台も送り込み、成果をマーケティング的に有効活用する。ポルシェにとって、新しい試みがトランスシベリアなのだ。

マーケティング主導型と聞くと、ファンからはその姿勢に純粋さが欠けていると指弾されるかもしれない。たしかにそうかもしれないが、ポルシェといえどもマーケティングは無視できないし、カイエンはその影響を強く受けるカテゴリーに属している。

しかし、昨日、2008年仕様のラリーカーにライプチヒ郊外の森の中で試乗してきたが、昨年、不満を感じていた点がほぼ改められていたのには感心させられた。緻密な丁寧な改良という、まぎれもないポルシェ流がそこにはあった。 

 

 

●2.ライプチヒ

カイエンSトランスシベリアで、「トランスシベリア2008」にエントリーしているドライバーとコドライバーは、ポルシェが招集するトレーニングに参加しなければならない。

したがって、ドライバーの小川義文さんとコドライバーの僕も、5月下旬の5日間を今年もドイツのライプチヒで過ごすこととなった。ライプチヒには、カイエンとパナメーラのアッセンブリー工場とビジターセンターがあり、オン&オフのテストトラックが併設されている。旧市街のホテルに宿泊し、毎朝バスでビジターセンターに通い、夕方までトレーニングをこなした。

トレーニングは、昨年型カイエンSトランスシベリアからのアップデート内容の説明、各自の車両確認、装備品チェック、各種書類への記入や署名から始まった。

今年も、トランスシベリアに出場するカイエンSトランスシベリアは、多い。19チームを数える。僕らも、2年目だ。

トレーニングの初日の朝、ライプチヒのホテルのロビーで、昨年に引き続き今年も出場する面々に再会できたのが懐かしく、うれしかった。ポルシェの、このプロジェクトの現場監督であるユルゲン・ケルンをはじめとする関係者たちも、ほぼ同じ顔ぶれだ。

昨年、総合優勝を飾ったアメリカ・チームのロッド・ミレンもやって来て挨拶したが、今年は彼の代わりに息子のライアンが、同年輩の若者と組んで出場する。

チーム・アジアパシフィックからドライバーとして参加していたシンガポール人ドライバーのエディ・ケンは、今年はポルシェ・チャイナからの依頼で中国人ドライバー、ディン・ルーのコドライバーとして再び出場することになった。

エディとは、同じアジア人同志ということもあって、昨年のトレーニングから仲良くしていた。彼らも、“パリス・ダカールでは、どうやっていたのか?”と、ことあるごとに小川さんを頼りにしてきていた。

川でスタックしたエディたちを僕らのクルマで引き上げたり、反対に、スペシャルステージ中で2本のスペアタイヤをパンクによって使い切り、3度目のパンクをして途方に暮れていた時に、通り掛った彼らから1本借りたりした。エディたちに限ったことではないが、参加者たちはお互いにライバルでありつつ、仲間でもありながら、2週間7000kmを戦ってきた。だから、一年後の再開の喜びも大きいのだろう。

昨年は、あまり会話らしい会話をしたことがなかったカタールのアデル・アブドゥーラやUAEのティム・トレンカーなどとも、一気に話をするようになった。

 

昨年は、あまり会話らしい会話をしたことがなかったカタールのアデル・アブドゥーラやUAEのティム・トレンカーなどとも、一気に話をするようになった。

初日のガイダンスは、ビジターセンター2階のプレゼンテーションルームで行われた。

並べられた椅子に、奥から詰めながら腰掛けた瞬間、今年はふたりとも顔触れが変わったイギリス・チームのひとりに声を掛けられた。
「はじめまして、僕はマーティン・ロウ。チーム・グレートブリテン」

イギリスのふたりは、去年と違って、トレーニングの段階から揃いのユニフォームを着込んでキメて来ている。気合いの入りようが違う。
「ラリーとか、オフロードドライビングは、よくやるの?」

よせばいいのに、自己紹介に続けて、僕はイギリス人にちょっと先輩風を吹かせてしまった。
「トシ・アライと一緒に、スバル・チームで走っていたことがあるよ」

全英ラリー・チャンピオンを何度も獲得しているマーティン・ロウさん、失礼しました!

2008年仕様へのアップグレードについて、ユルゲン・ケルンが一番最初に明らかにしたのが、タイヤの変更だ。昨年、各チームでパンクが頻発したダンロップ・グランドトレックから、BFグッドリッチのオールテレインT/Aになった。

僕らの11回というパンク回数は多い方だとはいえ、ひとつのスペシャルステージで4回パンクを喫しているドバイ・チームなど、昨年はみんなパンクに悩まされていたのだ。

その原因は、タイヤチョイスにあったのではないかという推察は、ラリー中からなされていた。2トン近くにもなるカイエンSトランスシベリアの重量を支えながら、モンゴルの荒野で牙を剥いている鋭い岩と石からサイドウォールとトレッドを守るには、昨年用のタイヤは明らかに役不足だった。

今年も変わらぬメンバーで参加してきたチームUAEのサイード・アルハジャリは、そのことをすでに昨年早いうちから見抜いていた。
「ダンロップは優れたタイヤメーカーではあるが、このタイヤはカイエンとこのコースには合っていない」

アルハジャリは、1986年のファラオ・ラリーにポルシェ959で総合優勝を飾っている他、数々の戦績を残している中東の名ドライバーだ。現在は、引退してドバイで不動産を営みつつ、砂漠でオフロードドライビングスクールを運営している。

小川さんにとってアルハジャリは“若き日のヒーロー”だったようで、とてもリスペクトしている。アルハジャリもそれをよく憶えていて、僕らとの再会を喜んでいた。

BFグッドリッチのタイヤは、本来の使い途がライトトラック用だけあって、頑丈そうに見える。トレッドもサイドウォールのゴムも分厚く、簡単には破けなさそうだ。

次に、ユルゲンが言及したのが増槽タンクだった。昨年は、20リッター入りの、いわゆるジェリ缶と呼ばれるタンクを2個、ラゲッジスペースに固定して積んでいたが、今年はFIA規格を満たした60リッターの固定式タンクが据え付けられている。

その他、シートがレカロ社製のフルバケットに変わり、ゼッケンも昨年の15番から11番へ。
「タイガースの村山ですね」

喩えが古過ぎたが、ふたりともオヤジなのでニヤッとしてしまった。

ポルシェらしく、2008年仕様へのアップデートはきめ細かく行われている。エアサスペンションやダンパー、トランスミッション、PDCCなどのセッティングやアライメントを改め、悪路走破力に大きな影響を及ぼすアプローチ&デパーチャー・アングル値の向上。デフロックとローレンジのセッティング更新等々。

それらの成果は、翌日のオフロード・ドライビング・トレーニングで確かめることができた。

ライプチヒ郊外の、かつてコールタール採掘が行われていた広大な空き地を走り込んだ。路面のコンディションが様々で、アップダウンもキツい。岩や石が埋もれていたり、ところどころ木々や草などが生い茂っていて、ブラインドコーナーを作っていたりと、ロシアのスペシャルステージに似ていないと言えなくもない。ものスゴく広くて、面積はザッと見積もっても軽く東京ドーム30個分以上はあるだろう。

「スロットルを踏み込んで、加速する時のトラクションが上がったね。エアサアスを“スポーツ”モードにした時のクルマの落ち着きも良くなった。ダンピングと乗り心地が向上したのがよくわかる。“スポーツ”モードだと、シフトタイミングも良くなった。エンジンのトルクが一番盛り上がるところで、どんピシャでアップもダウンもするようになった」

アップデートに対する小川さんの評価は、高い。PDCCの効きが明瞭になったとも付け加えていた。

助手席に座っていても、昨年型との違いははっきりと感じ取ることができた。シートにはクッションがほとんどなくなり、乗り心地は路面の凹凸や姿勢変化を直接的に伝えるようになったはずなのに、むしろ柔らかく感じたほどだ。タイヤの変更が大きく作用しているに違いない。ドラム缶に潜って、外から棒で叩かれるようなうるささも、減った。車内を荷物で満たせば、この騒音は自動的に軽減されるが、空の状態で静かになったということは、ラリー中の、特にロシアでの長いリエゾン区間での僕らの疲労が軽減されるはずだ。エアコンの効きも強くなったから、快適性を損なわずに済む。

おおむね、2008仕様へのアップデートに僕らは満足することができた。しかし、2008年型の新車を見ると、複雑な気分になる。ロールケージの形状などが改良されていて、いかにも“ポルシェの新車”っぽいのだ。911やボクスターなどでも、マイナーチェンジを施された新車のポルシェから漂ってくる独特のオーラがあるのだ。

昨年、モンゴルの高速ステージでカイエンSトランスシベリアを“縦転び”させたドイツやカナダ・チームなどは新車に買い替えて臨んできているから、要注意だ。

トレーニング中の食事時やバスでの移動時に、僕ら連続出場組の面々が必ず口にするのが、“今年のラリーはどうなるだろうか?”という戦況分析だった。エディは、「トップグループの争いは、よりアグレッシブなものになるだろう」と読んでいた。

その根拠は、昨年出場し、好成績を収めたトップグループのチームは、優勝したロッド・ミレンとそのコドライバーを除くと、ほとんど今年も出場してきている。経験があるので、より競争が激化するというわけだ。

その中でも、ドイツチーム1号車のアーミン・シュワルツとアンドレアス・シュルツのゼッケン10が大本命だろうというのが、みんなの一致した意見だった。1998年のヨーロッパラリーチャンピオンで、2005年までWRCに連続出場していたシュワルツと、2001年と2003年にパリ・ダカールラリーに2回優勝しているシュルツのコンビは最強だ。プロ中のプロ。ただ、シュワルツにも弱点がある。昨年もそうだったが、いわゆるWRCタイプのラリードライバーであるシュワルツは速さを追求し過ぎる。レッキができないラリーレイドでは、純粋な速さより、クルマを壊さずペースを保てる確実性が要求される。シュルツの手綱さばきに掛かっている。

「アルハジャリをはじめとする中東勢が侮れない」

昨年、ラフロードでの戦い方を熟知しているところを見せ付けていたアルハジャリや総合3位のチーム・カタールなどは、今年、総合優勝してもおかしくない。

初参加組の力量は不明だが、モンゴルの過酷なスペシャルステージを初体験するのは彼らにとって大きなプレッシャーとなるだろう。

昨年の経験がある僕ら2年目組が有利であることは間違いないが、経験が慢心につながる危険性を警戒せねばならない。初心が、ニュートラルで謙虚な姿勢を保ち、好結果を導き出すことがあるからだ。経験をいかに生かすことができるかが勝敗を左右する。それは、どこのチームも変わらない。

 

 

●3.ロシア 前半戦

経験を生かすことは、容易ではない。「トランスシベリア2008」ラリーの初日スペシャルステージで、僕らチーム・ポルシェジャパンは昨年の経験を生かすことができず、過大な累積タイムを背負い、下位集団からラリーを争わなければならなくなった。

初日から10時間のペナルティは、イタかった。走行時間が4時間30分。これに10時間をプラスした、14時間30分が僕らの、初日の成績だ。

トップのポルトガル・ポルシェと僕らの差は、13時間26分もある。トップと2位が13分42秒を争っていたのに対し、いかにこれから僕らが克服しなければならないタイム差が大きいものか。新入社員が初月給と一緒に、月給の10倍に相当するような多重債務を背負ったようなものだ。

10時間のペナルティを課せられたのは僕らだけではない。オーストラリア・ポルシェ、チーム・エクスプローラー、ポルシェ・ロシア2号車、「ルス&スゥエド」の日産パスファインダー、チーム・プロサービス、チーム・ショソローザなど6チームが定められたマキシマムタイム以内にスペシャルステージをフィニッシュすることができなかった。

タイムオーバーとなった理由は、はっきりしている。森の中の一本道で、みんな何度も泥や深い水に何度もスタックを繰り返した。そして、その一本道は細く、後ろから来たラリーカーは前方でスタックしてもがいているマシンを追い越すことができない。つまり、“スタック渋滞”に引っ掛かって先へ進めず、時間切れとなったわけだ。

去年、沼で水没して身動きが取れなくなっていたチーム・アジアパシフィック・ポルシェのカイエンSトランスシベリアを僕らが引き上げて助けた。彼らが水没にいたった過程を目の当たりにし、水没したらどうなるのか、水没しないためには何をなすべきかを一応は知ったつもりでいた。

もちろん、いまでも、それらを諳んじることはできる。しかし、諳んじることはできても、咄嗟の状況に対応できるかどうかは、また、別の話だ。だから、“経験を生かす”ということは、容易ではない。“経験する”と“経験を、自らのものとする”ことの違いの大きさに愕然とさせられている。

今は、こうして東京の自宅でマックを前にして、落ち着いて思い出すことができるけれども、あのロシアの暗い森の中の深い沼で、ズブズブと沈んでいく一方のカイエンSトランスシベリアを前にしていては、冷静で的確な判断なんてできなかった。

だから、水没時の最大の過ちを犯してしまった。

何度目かの“スタック渋滞”に巻き込まれた。その手前で、何台ものラリーカーが立ち往生しているので、僕がクルマを下りて、先頭がどうなっているのか、様子を観に行った。

4、5台前のチーム・オーストラリア・ポルシェのシルバーのカイエンSトランスシベリアが、かなり深い水たまりにハマッて身動きが取れなくなっていた。

そこは幅が3メートルぐらいしかない道で、左側は草木が生い茂り、右側は川なのか池なのか、葦のような草の間には満面の水がたたえられている。道と水面を隔てる堤の幅は50センチぐらいあるが、こちらにも草木がたくさん生えているので、場所を選びながら歩いて行かないと、前に進めない。

雨量が増したせいで、先の方の堤を越えて川から水が入り込んで、水たまりを大きく深くしている。

深さと路面の様子を探るために、靴のまま水たまりに入ってみた。冷たく、濁っていて、底が見えない。立ち続けていると、体重で身体が沈んでいく。それでも、道の端の方がまだ固く、立っていられる。それまでにラリーカーが通ったと思われる辺りが、水と混じって土が掻き回され、底なし沼のようになっている。

オーストラリアのカイエンSトランスシベリアは、水たまりの中でもがき続け、底の泥を4輪で掻き続けた挙げ句、タイヤが埋まるまで沈んでいた。こうなったら、もう自分たちではどうすることもできない。ウインチのワイヤを対岸の木に結び付け、脱出するしかないが、そのウインチが取り出せない。ここまで深く沈んでしまってドアやテールゲートを開けたら、一発で、車内は床上浸水だ。

水たまりの手前で“順番を待っていたドイツのカイエン2号車が牽引ロープで引き上げるのを試みてみたが、ヌルヌルの路面の上でタイヤを滑らせるだけで、オーストラリアのカイエンを引き上げることはできなかった。

万事休す。

オーストラリア・チームのナビゲーター、ポール・ワトソンは助手席の窓ガラスから上半身を乗り出した。

「牽引ロープとシャックルを貸してくれ。それを、向こうにいるウニモグに結び付けてくれないか」

ポールとデイブ・モーレイのふたりは昨年に引き続き、トランスシベリア2008に出場してきた。昨年、彼らはモンゴルの第2日目のスペシャルステージで溝に激しくカイエンをクラッシュさせ、途中でリタイアしている。

 

「去年は、フィニッシュできなくて、悔しかった。だから、今年は、好成績よりもフィニッシュすることを優先して走ることにしたんだ」

ポールはポルシェ・オーストラリアに勤め、ディーラー・トレーニングを担当している。
休日には、自らのF3やFJマシンでアマチュアレースを趣味にしているカーガイだ。

「去年は、ひたすら飛ばしていた。オーストラリアにも、アウトバックと呼ばれる広大なデザートが広がっていて、僕らは走るのに慣れている。だから、モンゴルでも、その経験を生かして速く走り、良い結果を残せると思っていた。でも、そうじゃなかった。
モンゴルでは、100km/h以上で飛ばすオフロードにいきなり大きな穴や溝が出現するし、岩や石も転がっている。オーストラリアでは考えられないことだ」

デイブは、クルマとヨットの記事を雑誌に寄稿するフリーランスライター。
ふたりとは、去年はほとんど会話を交わすことはなかったが、今年はスタート前から、
よく話すようになった。

「クルマを壊さず、無理をしないで、フィニッシュすることが重要だ。去年の君たちみたいにね。僕らは、今年は方針を変更したんだ」

 

昨年、僕らは11回のパンクに見舞われ、オイルクーラーのジョイント部分を下から岩にヒットさせ、エンジンオイルをすべて流出させてしまったにもかかわらず、12位で完走した。
途中でリタイヤせざるを得なかったポールとデイブにしてみれば、12位完走という結果は、“よくやった”ように映ったのだろう。

僕らがアジアパシフィック・チームの水没を見て、“ひとつ学んだ”気になったのと同じように、ポールとデイブは昨年の僕らの戦い方と成績を思い出して、今年の戦法を変えてきた。彼らは、立派に経験を生かしていた。だが、僕らにはできなかった。

オーガナイザーが用意したウニモグは、オーストラリアのカイエンを簡単に水たまりのぬかるみから引きずり出した。

それに続くカイエンは、水たまりの底の固い部分を選んで、ウニモグの手を借りずに走り抜けることに成功した。スズキ・グランドビターラやメルセデスベンツG320、ランドローバー・ディフェンダーなども、それに続いた。

次は、僕らの番だ。助手席に戻って、見てきた一部始終と水たまりの様子を小川さんに報告した。小川さんは、トランスファーを切り替えて、ローレンジモードを選び、もうひとつのスイッチで最低地上高を最も高い位置に持ち上げた。

「行くよッ!」

こういうシチュエーションでは、ゆっくりと水に入り、タイヤが底の路面を掻き過ぎないように用心していく必要がある。小川さんも、細心のスロットルワークで、前に進めていく。

10メートルほどの水たまりをほとんど渡り切り、水から上がろうとした最後の斜面で、タイヤが空転し始めた。傾斜は、思ったより急で、少しずつカイエンが滑り落ちて行く。なんとか前輪のグリップだけでも確保し、這いずり上がろうと、小川さんはエンジン回転を上げたが、前に進まない。いったん後退させて、やり直したが、ダメだ。2回、3回。

ハンドルを少し切って進路を変えてみたり、センターデフをロックさせてみたり、あらゆる手段を必死に試している。
このままだと、ポールとデイブたちのように泥に埋もれていってしまうのだろうか。
そう思うと、助手席に何もしないで座ってはいられなくなり、外に出た。

ジャーッ。

「しまった」

必死にドアを閉めたが、大した水深でもないのに水の勢いはすさまじく、
一度開けてしまったドアを完全に閉めることができない。

「ジャージャー入って来てるッ」

仕方がない。少し開けて勢いを付け、強く閉めるしかない。

アイスコーヒーのように真っ黒な水がたくさん入り込み、もう一度、力一杯ドアを閉めた。ボンッという鈍い音がしてドアとボディのラッチが組み嵌った気がしたが、水はそれを阻んだ。マズいことに、強く引っ張られたドアハンドルが根元から引き千切れた。
たとえ半ドアであろうとも、ドアを引き付けて、隙間を最小限に抑えておくものが、なくなってしまった。
窓を開けて腕を出し、外側から抱え込むようにして抑え付け、シャーッと流れ込む音を聞きながら、大きな悔恨の情にかられた。

深い水に嵌った時には窓から出入りしないと、瞬時に車内は浸水してしまう。
その惨状は、昨年、アジアパシフィック・チームが眼の前で晒していたじゃないか。

彼らを引き出しながら、“自分たちだったら、決してこんなヘマはしない”と心に誓ったはずだ。
それなのに、どうして同じ過ちを繰り返したのか。経験から学んだはずではなかったのか。

悔しさと自責の念で気持ちのメモリが一杯になり、さらに別の間違いを犯しやしないか動転した。

とにかく、この水たまりから脱出しなければならない。外に出てみると、やはり4輪が底の泥を引っ掻いてどんどん沈み込んでいっている。

結局、僕らもウニモグに引き出してもらった。
10km弱の間で3回のスタックを喫した湿地帯をようやく抜け、フィニッシュ。
しかし、165分のマキシマムタイム内でフィニッシュできなかったので、10時間のペナルティを課せられた。
34台中の30位。残り14日間のラリーを戦うには、重苦しいスタートだった。
クタクタになりながらウラジミールのホテルにチェックインし、泥だらけのシャツとズボン、下着、靴を脱ぎ、シャワーを浴びながら、洗ってみたが、ドス黒い染みは何度も流しても落ちなかった。 

 

●4.ロシア 後半戦

競争相手であると同時に、長い旅をともにする仲間でもある連中が困っていたら、どうするべきか?

それについては、すでに昨年から僕と小川義文さんとの間で、あらかじめ対応方法を決めていた。

スペシャルステージ中で、スタックしていたり、何かトラブルに巻き込まれているようだったら、まず、窓を開けて声を掛ける。そこで助けを求められたら、どうするか考える。これが、基本対応の第一歩。

昨年も今年も、助けを求められたことはなかった。シリアスな状況に陥っている相手は、訊ねる前に向こうから必死の形相で乞うてくる。
「トランスミッションが変速しなくなった」
「水温が下がらなくなったから、様子を見ている。早く行け!」

僕らが手伝ったとしても手の下しようがない場合は、どうすることもできないことをお互いに了解しているから、サッと立ち去るだけだった。

しかし、「構わないから、行けっ」と言われても、見過ごせないという時もある。7月15日のスペシャルステージ5日目が、まさにそんな状況だった。

ウラル山脈を越え、アジア側のロシアに入って最初の大きな都市テュメンから520km離れたところにステージが設けられていた。ロシアのステージは、去年も今年も深い森の中で行われていたが、ここは違った。起伏のほとんどない平原のあちこちに、木立ちがあるだけだ。でも、人間の背丈以上に延びた草が生い茂っているので、視界は開けていない。

完全にドライ路面で、川や水たまりなどもないからペースを上げられるが、ルードブックには“溝に注意!”という注意書きが頻出している。雨水を通すために掘られた深さ50センチぐらいのものや、自然にできた溝があちこちに走っている。不用意に突っ込もうものなら、かなりのショックを伴うはずだ。

木立ちの間を抜け、草が生えていない地面が左方向に広がっていた。舵を左に切りながらスパートしていく。左斜め前方に、黒いカイエンが一台停まっていた。ここからは、ドライバーもコドライバーも、まだ見当たらない。
「燃えている!」

近付いて行くと、そのカイエンのボンネットフードの隙間から、勢いよく炎が吹き出している。炎は50センチ以上も燃え上がり、フロントフェンダーの奥にも、チロチロと赤い火が廻っている。このまま放っておいたら、ガソリンに引火して爆発するかもしれない。小川さんは、用心して5メートルぐらいまで近付いた。イギリス・チームだ。

反対側へ回り込んで、マーティン・ロウとリチャード・トゥシルの動静を確かめようとしたら、反対側にいたマーティンが携帯電話で誰かと話しながら、僕らに近付いてきた。
「大丈夫だから、行け、行けっ」

マーティンは大仰に右手をグルグル回して、僕らに先へ行くことを促した。早口で相手に状況説明しているから、必死の形相だ。少し離れてから、振り返った。

反対側の前後ドアを開け、リチャードは積んでいた荷物を、クルマの外へ放り出していた。とりあえず、ふたりが無事だということはわかったので、ひと安心して、スペシャルステージをフィニッシュした。

それにしても、マーティンとリチャードは、あの後、大丈夫だったのだろうか。爆発したりしていないか。私物は、すべて取り出すことができたのか。他人事とはいえ、心配だ。

フィニッシュ地点でも、ふたりに関する情報はなく、今晩の宿泊地であるオムスクを目指した。

オムスクには、昨年も宿泊したが、今年はホテルが変わった。イルティシュ川沿いの立派な「ホテル・ツーリスト」だ。短い夏を楽しもうとする地元の人たちが集って、河原で日光浴をしている。彼らを相手にした、大きなテント張りのカフェやレストランも営業している。

ホテル横の広場をラリー用に区切って、すでに到着したラリーカーが整備を受けている。もちろん、イギリス・チームのカイエンの姿はない。

しかし、マーティンとリチャードはいた。無事で良かった。ふたりは、カフェでこの地方特有の肉の串焼きを肴に、ビールをジョッキでグビグビやっている。回りには、ラリーの仲間たちが、十数人。
「カネコ、これ見ろよ」

中国チームのエディ・ケンが12インチサイズぐらいのノートパソコンを渡してきた。粗めの粒子で撮影された動画が再生されている。
 燃えているカイエンじゃないか。
「こんなの誰が撮ったんだ?」
「リチャードさ。荷物を全部出してから、撮影したんだ」

携帯電話を掛けていたマーティンの傍らで、リチャードは果敢にも今にも爆発しそうな自分たちのラリーカーを、あらゆる角度から燃え尽きるまで撮影していた。余裕というか、さばけているというか、ジャーナリスティックというか、あっぱれなものだ。マーティンとリチャードの様子を訊ねたが、いたって元気で明るかったのでホッとした。
「水温計の針が100℃を振り切っていた。その直後にエンジンが停まり、停車した瞬間、焦げ臭い匂いが車内に入ってきた。こりゃマズい、燃えていると思ったので、すぐにクルマから降りて、荷物を外に出しながら、ユルゲンに電話した」

身体は、無事なのか。
「何の問題もない。火傷? 火傷もしていないよ。ありがとう」

すでに、モスクワ経由でロンドンに帰る便の予約も済ませたという。プロらしく、実にサバサバしていた。

ふたりは無事だったが、大変だったのがポルシェのメカニックたちだ。すべてのカイエンのラジエーターとファンを取り外し、点検掃除作業を行わなければならなくなったからだ。今日のステージのように草が生い茂ったところでは、千切れた草の葉やつぼみなどがラジエーターを目詰まりさせ、ファンを塞ぐ。マーティンたちのカイエンのトラブル原因は不明だったが、草が原因となることは十分に考えられる。僕らのカイエンも、洗車屋でスチーム洗車するとラジエーターとファンの間からたくさん草が出てきていた。

その晩、ホテルのレストランで行われたブリーフィングは荒れた。

 

毎日行われるブリーフィングでは、翌日の予定の確認やルートの変更などが伝達されることがほとんどだが、この日は、最後にオーガナイザーのリチャード・シャラバーがドイツ語でまくしたて始めた。いつもと違って厳しく強い口調なので、ドイツ語は理解できなくとも、察することはできた。ドイツ人たちも、真剣に聞き入っている。続けて、補佐役のアクセル・ゲッツが英語に訳す。

「何度言っても、飛ばし過ぎるドライバーが少なくない。特に、人のいる家や建物のそばを通る時、チェックポイントやフィニッシュラインでスピードを落とさない者がいる。危険なので減速するようにと、再三にわたって注意してきたはずだ」

アクセルもシャラバーのニュアンスを伝えるためにではなく、オーガナイザーのひとりとして憤っている。
「トランスシベリアは、パリダカールやWRCではないんだ」

これには伏線がある。前日や前々日のブリーフィングで、イタリアのアントニオ・トニャーニャやポルトガルのペドロ・ガメイロなどが、ラリーのオーガナイズを巡って、執拗とも言える質問を繰り返し、シャラバーやアクセルを追及していた。

「“フィニッシュラインを越えたら減速しろ”と言うけれど、ロシアは広くて土地はたくさんあるのだから、フィニッシュラインとフィニッシュ・チェックポイントをもっと離して設置すればいいじゃないか」

昨年2位に入ったアントニオは、スペシャルステージのスタート順を巡っても、オーガナイザーに喰って掛かっていた。

言っている内容には一理あるのだが、すべてを理想的に行えとリチャードに一方的に要求するのは酷な話だと思った。シャラバーたちオーガナイザーにいたらない点があることは確かだが、それでも昨年に較べれば改善されたところもある。だから、ブリーフィングで彼らにクレームを付ける参加者も去年に較べれば減っていた。アントニオは自分がトップグループにいて、速さと結果を追求しているということを強くアピールし過ぎていた。

この辺りの加減は難しい。主張すべきことを遠慮してしまっても良くないし、要求や理想だけを声高に主張するだけでは空回りするだけだ。 一般論として、“日本人はあまり主張しないが、西洋人は違う”と言われているが、トランスシベリア2008に参加している連中を見ていると、一概にはそうとも言えない。“静かな西洋人”も少なくないのだ。今年から参加しているフランス・チームのふたりや、ドイツ1号車のコドライバー、アンディ・シュルツなどはいつも静かに聞いているだけだ。だから、声高に主張するアントニオは余計に目立っていた。アントニオの名前こそ出さなかったが、アクセルは最後に次のように締めくくった。

「競技について、私たちに何か質問がある時は、大きな声で早口で喋るのは止めて欲しい」

パリダカやWRCと較べられ、挙げ句の果てに怒鳴られたりしたら、やってられっか!

シャラバーとアクセルの、そんなボヤきが聞こえてきそうだった。

なんとなくシャキッとしないまま、ブリーフィングはお開き。翌日は、オムスクから549km東に進んだ丘陵地帯にスペシャルステージが設けられた。昨日と同じように、草が高く生い茂っている。

ドイツ1号車、カタール、イタリアとトップグループの3台がスタートしたところで、止まった。次のチーム・ミドルイーストがスタートせずに、待っている。様子を見に、クルマを降りてスタート地点に向かうと、救急車がコースに入って行った。ステージを終えてスタート地点に戻ってきた、ドイツ1号車のシュルツに聞けば、アントニオが8km地点でバンプにクラッシュして、怪我をしたという。ポルシェの現場マネージャー役ユルゲン・ケルンに聞くと、「横転や出火はしていないが、救急車が戻って、再開するのを待つように」

因果が巡ってしまった。ファイターであるアントニオのことだから、猛烈にスパートしたに違いない。救急車に続き、ゼッケン2番のシルバーのカイエンSトランスシベリアが自走して戻ってきた。アントニオに代わってハンドルを握るコドライバーのカルロ・カッシーナの、悲しみと悔しさを噛み締めている顔を正視できなかった。

アントニオは誰よりも激しくスピードを追い求めたが故に、スピードに討ち返されてしまった。7000kmを超えるトランスシベリア2008では、ゆっくり走っていてはいつまで経ってもゴールにたどり着けないが、スピードを追い求め過ぎてはリスクを急激に高めてしまう。そのバランスを自分たちなりに、いかにマネージするかが勝敗を分けるのだろう。マーティンもアントニオも、その犠牲となった。 

 

●5.モンゴル 前半戦

トランスシベリア2008の全行程14日間で、ホッとできる1・5日間がある。ロシアとモンゴルの国境を越えてからの半日と、翌日の休日だ。
 
ロシア出国のパスポートコントロールと税関を通過するのに5時間、緩衝地帯を走り抜けるのに30分、モンゴル入国の審査と税関通過に30分、合計6時間も掛かった。
 
ラリーの一行の他に国境を通過するクルマは、今年は一台も見なかった。昨年は、モンゴルへ戻るロシアからの乗り合いバスを一台見ただけだ。空いているのにこんなに時間が掛かるのは、陸路でのロシアとモンゴルの国境を越えられる乗用車が一日20台に制限されているからだった。もちろん、トランスシベリアのオーガナイザーは事前にロシア当局から特別許可を受けていて、まとめて出国できるようにはなっているのだが、慣行通り20台ずつ区切って、出国審査を行っていた。

その審査作業が、社会主義時代の悪癖が残っているからなのか、イライラさせられるぐらいトロい。効率とか利用者利便性向上という言葉が、まったく存在していない。
 
ガラスで隔てられたカウンターの向こうの係官にクルマの登録証を渡し、その場でずっと待たされる。すぐに通過したいから、狭いところに40人の参加者がギュウギュウ詰めになって、次のプロセスであるパスポート・コントロールへ移動するのを待っている。
 
それでも少しずつ進み、カウンターの一番端から、それとなくずっとパソコン・モニターの前に座っている十勝花子によく似た女性係官の仕事ぶりをチラ見してみた。見えそうで見えない画面を、背伸びして覗き込んでみると、なんと、表と裏になったトランプ数枚が写し出されているではないか。インターネット・ゲームサイトで、ブラックジャックを楽しんでいるのだ。
 
花子に気付かれないように、隣で同じようにイラ付いているチーム・ミドルイーストのティム・トレンカーにそっと教えてやった。

ティムは190cm近い長身だから、簡単に覗き込めた。ティムの“チッ”という舌打ちが聞こえたのか、花子は席を立ってしまった。続くパスポートコントロールでも延々待たされた。狭い事務所内に僕らがひしめき合っていると、本当に酸欠になったような気持ち悪さに襲われて、時々、外の空気に当たりに行って戻ってきても、まだ順番が進んでいないことがあった。
 
なんとかロシアを出国し、緩衝地帯を通って、モンゴルへ向かう。国境線がどうのようにして定められたのか知らないが、昨晩キャンプ泊したコシュアガシュからモンゴルに近付くにしたがって、樹木というものが視界から無くなっていっている。緩衝地帯には、背の低い草が疎らに生えているだけだ。これから東に進んで行っても、ところによって背の低い灌木があるぐらいだ。ロシアとモンゴルの違いは何かと問われたら、僕は“樹木が生えていないこと”と即答している。
 
樹木がないということは森や林が存在せず、つまり、その恵みに預かろうとする人間も定住していないことを意味する。モンゴルの人たちは、なだらかな草原とステップを、家畜を追いながら生きている。
 
山羊や牛、ヤクやラクダなどとともに生きているわけだから、モンゴルの草原には道がないのだ。人間が定住していたら道が必要になるが、動物は道の上を移動しない。轍があっても道路がないモンゴルで、ラリーを戦う意味を2年目にして初めて自覚させられた。
 
モンゴルに入国し、今晩のキャンプ地であるオルギーの町まで、大きな丘陵地ふたつとそこから広がる扇状地ふたつを越えて行かなければならない。昨年はその扇状地を前にして、どこをどう走ればいいものか見当が付かなかったが、今年は不安はない。昨年走った轍をなぞるということではなく、丘と扇状地の縁に轍があるということを経験として身に付けることができたからだ。ウエイポイントとウエイポイントの距離が長いと、あまりに広大な土地のどこをどう走っていいかわからなくなることがある。丘なり崖なり高低差のある土地というのは、その間を川が流れていたり、かつて流れていた場合がほとんどだから、川から最も遠い縁に轍はできているわけである。
 
オルギー手前の扇状地を前にして、視野の縮尺度が一気に広がったのを自覚できた。経験を積んだ賜物だ。
 
競技において、昨年と最も違ったのは、毎日、マキシマムタイムが設定されていたことだろう。スタートから、キャンプ地までの最大所要時間を越えると、ペナルティを喰らう、ロシア初日に僕らが受けた洗礼だ。 マキシマムタイムが設定されていると、スペシャルステージ前後のリエゾン区間でも気が抜けないのだ。スペシャルステージをフィニッシュし、特に問題がなければ、余裕で宿泊地まで着ける時間なのだが、緊張が解けないのだ。しかし、国境通過日には、それがないから気がラクだ。

丘をふたつ越えて降りていったところのオルギーの町を抜け、再び大きな丘陵地帯に差し掛かったところのキャンプ地に到着し、とりあえずテントを張った。まだ、半分以上が到着していないから、張る場所を選べる。
 
昨晩のコシュアガシュから帯同してくれているモンゴル人一家が運営する業者が、すでに大きなテントを設営し、晩飯の支度に取り掛かっている。去年は、ユーロやドル、ロシアン・ルーブルからモンゴルの通貨トュルクへの両替を専任で行うドイツ人の若者がいたが、今年はご飯をサーブしてくれるお姉さんが両替をしてくれる。
 
15万円分のルーブルをトゥルクへ替えてもらったら、厚さ2センチぐらいの札束が返ってきた。こんなぶ分厚い札束を手にしたのは初めてだ。ふざけて、次に順番を待っていた参加者に見せたら、みんなゲラゲラと笑った。
 
僕らより一足先にキャンプに到着していた、ボヤン・リソビックがテントの外に敷いたシートに寝転がり、リラックスして分厚い本を読んでいた。ボヤンは父親のミルコとランドローバー・ディフェンダー110でボスニアから参加しているプライベーターだ。一昨日の晩、ノボシビルスクのホテルのバーで、GPSに緯度と経度を打ち込んでいたボヤンの隣のテーブルでビールを飲んだ時から、話をするようになった。
 
父親のミルコは1978年のボスニア・ヘルツェゴビナのラリーチャンピオンだったが、最近は競技から遠ざかっている。親子でいくつのも事業を展開しており、ボヤンはボスニアで不動産開発会社を経営している。
「先月、アウディRS6を買ったけど、日産GT-RはRS6よりも速いのか?」
 
きっと、事業もうまく行っているのだろう。日本にも、仕事で何度も来たことがあるらしい。

 

「僕らのランドローバーはディーゼルエンジンなので君らのカイエンのようなスピードは出せないけど、トルクがある上にサスペンションのホイールストロークが長いから、スタックすることはないのが強味だ。でも、順位を争うのではなく、旅を楽しむつもりで参加している」
 
読んでいる英語のハードカバーは、中央アジアの歴史書だった。父親のミルコは言葉少な気だが、微笑みを絶やさない。キャンプ地の周辺を、よくノンビリと散歩していた。
 
トランスシベリア2008が初のアドベンチャーラリー参加というコンビもいる。ふたつ前の三菱パジェロ2.8TDIでスイスのローザンヌから参加してきているオウレル・バックマンとブランケ・ダミエンだ。
 
オウレルは、オルギーのキャンプ地に着いて、フロントグリルとラジエーターの間に詰まった草や土、小石などを手を突っ込んで取り払っていた。

「パジェロの一番のウィークポイントなんだ。グリルを取り外しても、ラジエーターが奥に位置していて、その手前に車体のフレームが横切っているから、こうやって手を突っ込まないと取れない」
 
14万kmも走っているから、お世辞にもキレイなクルマではないが、サスペンションのマウントを改造し、ダンパーを2本に増やしたり、効果的で実質的な改造が施されている。聞けば、ラリー出場こそ初めてだが、20年以上前から、サハラ砂漠を何度も旅しているという。
 
ラリーが始まってしまうと、やらなければならないことに追われて、他の選手と話し込む時間はあまりない。あっても、競技に関係する情報交換がほとんどになる。競技から離れたプライベートのことをノンビリと話せるのは、この1・5日間ぐらいのものだ。特に、カイエン以外のクルマで参加してきている者とはモスクワで初めて顔を合わせるので、なおさらだ。

「パジェロには、初代から4台続けて乗っている。壊れないし、運転しやすいところが気に入っているよ」
 
オウレルは、フランス人元F1ドライバーのアラン・プロストに似ている。

「君ら、ポルシェに乗る連中は、飛ばすだけだからラクだろう?」
 

シニカルな物言いも、プロストっぽい。オウレルたちの戦略は、ミスコースをせず、クルマを壊さないで完走することに尽きていた。上位入賞など、ハナッから考えていない。無理して飛ばしてクルマを壊したら、自分たちだけで直さなければいけないからだ。だから、後続車に接近されると、すぐに横にどいて、進路を譲る。

マンクハンからダルビィまでの、モンゴル2回目のスペシャルステージの終盤近い長い上り坂の途中で、停まっているオウレルたちのパジェロが見えた。近付くと、パジェロのボディはひしゃげている。横転したのだ。オウレルもダミエンもクルマから降りて無事なようだが、こんなに見通しがいい直線で、いったい何があったのか。

「そうなんだ。100キロぐらいで調子良く走っていたんだ。轍の中の、そんなに大きくない水たまりを右前輪と続く後輪で踏み越えた途端、いきなりスピンして、アッという間に4階転がった。身体は大丈夫だ。このままじゃ走れないので、オーガナイザーにはすでに電話してある。ありがとう」
 
その晩のブリーフィングで、オーガナイザーのひとり、アクセル・ゲッツがオウレルたちのアクシデントについて報告し、ふたりは無事で、パジェロを運ぶトラックに乗って、みんなと一緒にウランバートルに向かうことを説明した。
 
まったく偶然に、ブリーフィングを行っていた食堂テントに戻ってきたオウレルが入ってきた。アクセルの報告で起こった拍手の中へ当人が舞い込んできたものだから、拍手はさらに大きくなり、オウレルは指笛まで吹かれる始末。照れくさそうに右手を上げてみんなに返礼し、皿を取って、料理を取り始めた。食べ終えて、紅茶を飲んでいる僕らのテーブルにオウレルは腰掛けた。

「ボディはツブれたけど、シャシーとエンジンは大丈夫だから、ボディを探して、作り直すさ」
 
ロールバーが入っているとはいえ、4回転してツブレたパジェロは復活できないだろうと思っていたら、オウレルは修復するつもりだ。この執念深さで、パジェロを4台も乗り続けてきたのだ。

「直せなかったら、君たちから三菱自動車を紹介してくれないか? 新しいパジェロで来年、また出よう。ハハハハハハッ」
 
数時間前に、4回転してきたとは思えないほど元気で、安心した。
 
翌朝、ボヤンに会うと、今日のアルタイまでのスペシャルステージには出走しないという。
「このクルマじゃキツそうだからね。用心しておくよ。先に、キャンプで待っているから」

スペシャルステージに出走しなければ、その分、順位はかなり下がる。しかし、ボヤンは、無理するよりは確実にウランバートルまで辿り着くことを重視した。こうした参加の仕方もあることに、僕は目から鱗が落ちた。自分たちで直せないほどクルマを壊してしまったら、その時点でラリーは終わりだ。ウランバートルまで走り切ることを最優先するならば、スペシャルステージを自らキャンセルすることも厭わない。これはこれで、大ありだ。大ありどころか、アドベンチャーラリーに参加する姿勢として、正しいのではないか。正しいなんて、おこがましい。床も抜けんばかりにスロットルを踏み込み、飛ばしに飛ばした挙げ句にクルマを壊しても、僕らカイエン勢はポルシェのメカニックが、眠っている間に修理してくれる。
 
旧型のトヨタ・ランドクルーザーで参加しているウタ・ベイエールとマリオ・スタインブリングなどは、僕らがシュラフに潜り込む頃でも、自らランクルの下に潜ってダンパー交換などを行っていた。睡眠時間を削って、整備していたわけだ。その甲斐あって、彼女たちは総合7位に入ってみせた。
 
昨年に較べて、カイエンに乗るプロが増えたおかげでトップグループのハイスピード化が進んだ。しかし、それとは関係なく、プライベート参加している面々は、それぞれのスタイルでラリーを楽しんでいた。 

 

●6.モンゴル 後半戦

チョコレートが溶ける甘い匂いが車内に立ちこめてきた。
 
スペシャルステージ中では昼食など摂れないので、チョコバーやクッキー、キャンデーなどで栄養補給している。サイドブレーキレバーの後ろに設置した小物入れに入れたチョコレートが溶け始めたに違いない。カイエンSトランスシベリアの床は剥き出しで、カーペットや遮音材などはすべて取り剥がされている。熱くなった床が溶かしているのだ。その熱は、床下のセンターデフかトランスファーから発せられている。
 
無理もない。傾斜角度が、25度はあろうかという急斜面を駆け上がっているのだ。
 
ヴァーーンッ。
 
エンジンのトルクを前後輪に配分するトランスファーが、唸りを上げている。チョコレートが溶けるくらいだから、車内も暑くなってきた。

「大丈夫かな?」
 
ドライバーの小川義文さんが心配しているのは、熱とルートの両方だ。小川さんは、水温計の針が100度を越えたと言う。
 
ほとんどが空しか見えないような急斜面をカイエンの登坂力に任せて上り始めてしまったのはいいが、傾斜がどんどんキツくなっていく。カイエンは登坂力があるのは間違いないが、2本のスペアタイヤ、ウインチや工具類などをはじめとした装備で重量も嵩んでいる。エンジンやトランスファー、センターデフなどに掛かる仕事量は平坦なところを走っているのと較べものにならない。

ガーミンのGPSでは、とっくに2000メートルを越えている。平坦なところから、300メートル以上は上がってきた。自身の重量を短時間で持ち上げる仕事をなすために必要な位置エネルギーの一部が熱となって発散されてきているのだ。エンジンの水温が高くなることは、今までさまざまなかたちで体験したことがあるが、駆動系統が熱くなるなんてことは初めてだ。チョコレートも溶けるわけである。
 
先行するライバルたちのワダチも、途中から消えた。この場で方向転換するのは危険なほどの急斜面だ。ヘタをすると転倒だ。眼の前の峰を登り切り、早く下りてしまいたい。
 
明らかに、僕のナビゲーションミスだった。ひとつめの峰を登ったところまでは良かった。その後、ふたつめの峰を登らず、左に曲がって、ふたつめの峰の付け根を時計回りに大きく回り込んで峰の向こう側に出るべきだった。
 
昨年の経験から、カイエンSトランスシベリアのエンジンや、ましてやトランスファーにダメージを受けることが起ころうとは想像もしていなかった。幸い、僕らはこのふたつめの峰を越え、急斜面を降り切ってことなきを得たから良かったようなものの、オーバーヒートによるトラブルを抱えることになったのかもしれないのだ。ポルシェ・カナダ・チームは、別の原因ではあるとはいえ、ロシア・ステージ中にトランスファーが機能しなくなり、モンゴルまで来れなかった。
 
カイエンSトランスシベリアは、ポルシェが誇る4輪駆動制御システム「PTM」を備えているが、それに頼り切ってしまう愚を犯してはならなかったのだ。チョコレートの匂いがしてきた時にクルマを停め、水温とクルマを冷まし、善後策を考えるべきだっただろう。
 
この辺りの土地にも一切樹木は生えておらず、草の類も見当たらない。丘と山の表面は細かな石でビッシリと固められ、ところどころナイフのように薄く鋭利な岩が剥き出しになっている。植物は、岩に生えた苔のほかは、数センチほどの短い草が風に飛ばされないように岩の影にひっそりと生えているに過ぎない。

だから、どこでも走ろうと思えば走れる。いわゆる“道”がないから、自分が走ったところが道になる。人家や森林もないので、どこをどう走っても構わない。真っ白なキャンバスに筆を入れる瞬間のようなものだ。
 
日頃、日本の混んだ道を走っている身からすれば、モンゴルの平原には、すべての束縛から解放された自由が存在している。どこを、どう走ってもいい自由。クルマを運転して感じる快感の、ひとつの極がここにはある。
 
昨年の経験が役立つこともあれば、役立たないこともある。難しい。
 
今年、トランスシベリアへの2度目の参戦を決めた時から、密かにリベンジを誓ったことがあった。フィニッシュ一日前のバヤンホンゴールからモンゴルエルスまでのスペシャルステージを、うまく走り切るという課題を自らに課したのだ。
 
昨年は、ステージがスタートしてすぐに始まる川渡りに苦しめられた。川の中でスタックし、これも運良く同じルートを通り掛ったポルシェのサービスクルーが乗るカイエンにロープで引き上げてもらって、脱出できた。40本以上も川を渡っただろうか。渡っても渡っても現れる川に、精神的に疲労させられた。
 
コドライバーは、時にはクルマを降りて川に入り、深さと流れの強さを確認しなければならない。そのことの重要性に気付かされたのも、昨年のこのステージでだった。同じ川でも、渡る場所が数メートルずれただけで、流れと深さと底の様子は全然違う。慎重になり過ぎては、いつまで経っても前に進まないが、見極めどころを誤ると、取り返しのつかないことになる。
 
どこを、どういった角度で渡るか?
 
その答えを出すのに、昨年は身構え過ぎていた。肩に力が入り過ぎていたのだ。だから、今年は発想も、身体も柔軟にする必要がある。ルートを素早く見極め、小川さんを導き、連続する川渡りをこなしていかなければならない。

今年のトランスシベリアを制する鍵は、バヤンホンゴールのステージが始まってすぐの川にあると狙いを定めていた。出発前には、スポーツ用品店で伸縮式の登山用ステッキを購入。靴も水中の岩の苔で滑らずに、水がすぐに外に流れ出して乾きも早い優れもの、サロモンの
「ウオーターシューズ」を用意して臨んだ。
 
自分が率先して川に入ることにも、躊躇する理由はない。ビチャビチャになる服とシートは、すぐに乾く。日本を発つ前から、気合い入りまくりだったのである。
 
ところが……。
 
40本も渡った川が、ほとんど干上がっていたのである。拳大から人間の頭蓋骨ぐらいの丸い石が続く、去年は川であった河原を行けども行けども、水は見当たらない。時々、流れているのかいないのかわからないような“水たまり”があったが、もちろん僕が降りるまでもなく、小川さんがローレンジを使うまでもなく突破する。

「去年と、全然違うねー」
「空振りもいいところですよ」
 
ラリーの時期が今年は一ヶ月早いことも、水が少ない理由かもしれない。いずれにせよ、自然には逆らえない。

「肩透かしを喰らったようなもんだけど、去年みたいに川渡りで消耗させられることがないわけだから、助かるよ」
「今年初めて参加するチームには、有利に働きましたね」
 

去年は、車重の軽いスズキ・グランドビターラやプライベート参加のポルシェ911などが、急流に流されていた。その様子を目の当たりにして、みんなビビッていたのだ。流れが緩やかに左に蛇行しながら川幅を拡げる、まさに去年のその場所に差し掛かると、なんと、ポルシェ・ドイツの1号車がタイヤがすべて沈む深さの流れの中で、スタックしていた。
 
1号車といえば、優勝候補のプロドライバー、アーミン・シュワルツではないか。今年は、陣容を固め、コドライバーにアンディ・シュルツを招聘してきた。シュルツは、増岡浩やユタ・クラインシュミットと組み、三菱パジェロでパリダカールにニ度、総合優勝しているプロ中のプロだ。そのシュルツが、川に入って、牽引ロープをポルシェ・ノースアメリカ・チームのカイエンに結び付けようとしている。

「アンディ、大丈夫か?」
「OK! 先に行け!」
 
2メートル上流側の川面をよく見れば、底が見えるほど浅いじゃないか。どこを見ていたんだ、アンディ。
ドイツ1号車は、川から脱出できた後も、コンピューターユニットを浸水させたことで、エンジン不調に陥り、順位を落とした。この日、シュワルツとアンディは2位からスタートしていたが3位に落とし、挽回の機会を失った。
 
結局、小川さんがカイエンの車高を上げ、ローレンジを選ぶほどの川渡りは、そこだけだった。優勝を請け負い、自他ともに認める優勝候補だったシュワルツとアンディは最後の最後で、それを逃した。ふたりが何を誤ったのかは、わからない。シュワルツは、昨年の経験を活かすことができなかったのだろうか。
 

東側から河原を見渡す丘の上に、小さな村が見えた。昨年も、川から上がって、その村に入り、再び河原に戻ってくる指示がルートブックに記されていた。今年も同じだった。

「去年も入った村です。お寺の回りをグルッと一周させられて、この脇に出て、川に戻りました。今年も同じ指示なので、寺まで行かず、ショートカットしましょう」
「ああ、そうだったね。了解!」
 
そうすれば、僕らの前で村に入っていったドイツ2号車を抜ける。
 
すぐに河原に戻り、上流方向にスパートした。

「去年は、ここで僕らがスタックしたんですよ」
「そうだったね」
 
11ヶ月前の記憶は、意外と衰えていないものだった。川の曲がり具合、崖の形状、橋の位置などの目印によって、流れていた川の姿をイメージすることができる。
 
途中、ロシア1号車とドイツ3号車に追い抜かれたが、3号車を追い抜き返し、その先で、ドイツ2号車とオーストラリアを抜いた。パンクで停まっていたコロンビアもパスできたから、この日は上出来だった。総合13位を、11位に上げられた。

 

「今日の12位って、低くない?」
 
モンゴルエルスのキャンプで、夕食前に張り出された今日の結果表を覗き込んだ小川さんが不満げだ。
 
イヤな予感がしていたのだ。昨年のことを思い出しながら、割とうまくフィニッシュできたが、どこかで“スンナリいき過ぎなんじゃないか”と引っ掛かっていた。具体的には、チェックポイントの見落としだ。
 
結果表を見ると、案の定、1時間のペナルティが加算されている。オーガナイザーに確認したら、その通りだった。

「あの村の中に、あったんですよ」
 
村に入って行ったドイツ2号車のカルラス・セルマに聞いてみると、村の中に去年はなかったチェックポイントが設けられていたという。
 
昨年は無かったが、今年も無いとは限らない。コース設定を行ったオーガナイザーにしてみれば、“してやったり”だっただろう。僕らは、彼らの簡単な罠に簡単に引っ掛かった。
経験も、よく活かさなければ、悪く作用してしまうことがある。 

 

●7.ウランバートル

トランスシベリア2008の最終日は、モンゴルエルスからウランバートルへの368kmで争われる。
 
モンゴルエルスでは、昨年と同じ広大な人口キャンプ場に泊まった。入り口付近にはバンガローとその宿泊客などもいてレジャー施設然としているが、2kmあまり奥へ進んでいった僕らのキャンプ地は、何もない荒野そのものだった。その点では、昨日までと変わらない。
 
だが、ゴールを迎える気分は違う。今日の午後、ウランバートルでのゴールまで無事に走り切れば、15日間で7600km走ってきたラリーも終わるのだ。気持ちが軽くなる。
 
そう思うと、心身ともに昂りは収まらず、まだ暗いうちにシュラフを抜け出して、背伸びをした。
 
夜明けの空の美しさが、格別だ。漆黒の闇が広がるだけだった東の夜空から徐々に明るくなってくる。暗闇と朝陽の中間は、半熟卵の黄身のような濃い黄色に輝いている。地平線の東方を中心にして、そこから南北それぞれの方向に深い橙色のグラデーションが広がっていく。
 
まだ朝4時前だから、テントから出てくる者はいないが、ポルシェのサービストラックには電灯が点き、メカニックたちが仕事を始めている。彼らも、今日のゴールに向けて、気持ちを引き締めていることだろう。
 
昨年と変わり、最終日のスペシャルステージはふたつ設定されている。ひとつ目は、ここから75km東に進み、幹線道路から奥に入ったところからの87kmだ。レンガ造りの古い工場の裏の広場がスタート地点で、その向こうに広がっている草原を北北東に進んでいく。

15日前にモスクワをスタートする時には、主催者のリチャード・シャラバーは、「みんな揃って、ウランバートルまで走り切ろう」と宣言していた。誰もが、順位こそ問わないものの、身体もクルマも無事にゴールできることを信じて疑っていなかったはずだ。確信こそ抱いていなかったが、僕らだって、ゴールに辿り着くことを第一の目標にしていた。
 
しかし、最終日のスタートを前にして、ここにはいないチームと、ここにはいるけれどもスタートできないチームが何チームもある。
 
ポルシェ陣営だけでも、イギリス、イタリア、カナダ、中東、カタール、中国、プライベートのSTSレーシングなどが、すでに戦列を離れている。アメリカは、みんなからだいぶ遅れてスタート地点にやってきたが、昨日までの度重なるエンジンやサスペンション・トラブルなどが完全に直っていなくて、スペシャルステージには参加しないようだ。迂回して幹線道路を走り、ウランバートルまで行く。
 
オーストラリアのポール・ワトソンも、スタートはするが、ゆっくりとクルマをゴールまで運ぶだけだと言う。一昨日のバヤンホンゴールからモンゴルエルスまでのスペシャルステージ中に壊れたパワーステアリングのオイルポンプを駆動するベルトが切れたのが、完治していないらしい。

カイエン勢以外でも、イタリア人とドイツ人コンビのプライベーターのトヨタ・ランドクルーザーJ9が最終日のスタートに辿り着けていなかった。
 
昨晩のブリーフィングで、あらかじめ最後のスペシャルステージは、「セレモニアル」なものになることが伝えられていた。タイム計測はせず、追い越しが禁止される。だから、最後から二番目の、これから始まるステージが順位に関係する最後のステージとなる。トップのフランス・ポルシェと2位のスペイン・ポルシェの差は2時間以上あるが、2位と3位のポルシェ・ドイツ1号車とは14分、4位のポルトガルと5位のロシア1号車などは1分40秒しか離れていない。順位が入れ替わる可能性は、十分にあるのだ。
 
僕らは、ここまでで総合11位のクラス10位。ひとつ上には、手負いのアメリカがいるが4時間ものタイム差がある。
 
ドライバーの小川義文さんも僕もいたって健康。カイエンSトランスシベリアのコンディションにも不安要素はまったくない。87kmの、このステージを走り切れば、終わったも同然だ。そう自分に言い聞かせてスタートした。
 
慢心したわけではないが、初めからミスを犯してしまった。最初のウエイポイントは、緩やかな丘を登り、1.9km先の変則十字路を1時方向に直進する。これを間違えて、11時方向に導いてしまった。完全なる勘違い。凡ミスだった。幸い、500mも走らずにミスに気付き、元のルートに戻ったが、その間に後からスタートしたカイエン2台とスズキ・グランドビターラ、メルセデスG320に先行されてしまった。
 
いつもと変わらず、最初のウエイポイントの方向と距離を諳んじながら、周囲に目を配り、向かうべき方向を注視して臨んだはずなのに、いったいどうしたことなのか。ミスコースした時というのは、ミスに気付いた瞬間に何を間違ったか、判断の記憶を巻き戻せるものだ。ミスコースの判断は、唐突には下されない。自分でも、なんとなく怪しいと訝りながらだったり、二者択一を迫られる状況からイチかバチで選んだ結果が間違っている場合がほとんどだ。でも、ドライバーの小川さんには、それを悟られないように自信たっぷりに指示をしているのだけれども。

1時方向を11時方向に間違えたのは、今から思い起こせば、明らかに僕の疲労が原因だった。同じ手順で、変わらず判断をしているのにもかかわらず、簡単なミスを犯したのは、疲れているからだった。ゴールを前にして気持ちが高揚しているから、あの時は意識できていなかったのかもしれないが、判断力が鈍っていたのだ。
 
ゴール近くで、もう一度、ミスコースをした。ゴールは、草原がだいぶ開けてきて、人家や幹線道路が行き交う一帯のどこかにあることは、ルートブックから間違いなかった。
 
注意書きされている溝や穴を避けながら、ヒントである送電線の位置と方向を見定めながら、ゴール地点の場所を見極めたつもりだった。それは幹線道路の向こう側の、山の麓の少し開けたところに違いない、と推察した。方角と距離、送電線との位置関係から類推したのだ。
 
なんとなく、クルマが何台も停まっているように見えるのは、すでにゴールしたラリーカーではないのか。
 
ルートブックに指示されている溝を越え、幹線道路に出て、2kmほど東に進めば、ゴールを示すいつもの旗が見えてくるはずだ。

「旗なんか、ないねぇ?」
 
小川さんも、カイエンを停めて、周囲を探す。
 
おかしい。どっかで間違った。たくさん停まっているのは、採石場に来ている地元のクルマじゃないか。

「スミマセン。僕のミスコースです。全然、違いました」
 
幹線道路を戻り、送電線の始まったところまで引き返すことにした。

 

「アッ、ありました!」
 
ゴールの旗は、全然、トンチンカンな方向に翻っていた。そこに戻るには、やはり、送電線まで大きく迂回して戻らなくてはならない。
 
ミスコースの原因は、僕の早トチリだ。送電線との位置関係を間違えたところは、判別し難かった。同じようにミスコースしたチームもあったからだ。問題は、その後だった。幹線道路の向こうの採石場をゴールだと、勝手に決め付けてしまっていた。これも、早くゴールに辿り着きたいという焦りによるものだろう。その焦りだって、精神的な疲れから来ていたのではないか、と分析できる。もちろん、初日のステージから、一刻も早くゴールしたいと切望しながらすべてのステージを競ってきてはいるのだが、精神的な余裕がなくなっていた。
 
ルートブックの指示を反芻し、GPSが示す方角と距離を当てはめ、眼の前に広がるフィールドのどこを、どう通って、次のウエイポイントに達するか。
 
先行するラリーカーが巻き上げる土煙、ワダチ、川や溝、水たまり、草の生え方、そして地形など、眼に入るすべてのものを“情報”として脳にいったんインプットし、瞬時に総合判断して最適のルートをアウトプットしなければならない。
 
そのデータの出し入れが、スムーズにいかなくなっていた。前日までは、たとえミスコースしても、脳内のハードディスクは回転し続けているから、瞬時にミスしたことを認識できていた。しかし、最終日一回目のスペシャルステージでは、それがフリーズしてしまったようだ。
 
このステージの結果は、総合13位、クラス9位。勝負に“タラレバ”は通用しないが、前日までの調子であったなら、接戦だったから、いくつか上位でゴールできたのかもしれない。しかし、あの結果が自分の許容量を表わしているのだと考えれば、実力通りなのだろう。
 
最後のスペシャルステージは、ウランバートル郊外の広大なリゾートで行われた。山をふたつ越え、川を2本渡る11.25kmのルートだ。昨年と同じ場所だが、ルートが少し違っていた。タイムを計測しないから順位が変わることはもうないのだが、それでもみんなペースを落とすことなく争っていたのが面白い。

ゴールポストをくぐり抜け、カイエンを停めて、小川さんと握手を交わし、僕らのトランスシベリア2008は終わった。成績は、昨年よりひとつずつ上げ、総合10位クラス9位。
 
実を言うと、スタートする前は、「昨年の経験を生かせば、かなりいいところまで行けるのではないか」と、ひとり密かに皮算用していたのだ。自分なりに、勘どころは抑えたつもりだった。
 
ところが、トランスシベリアはそんな甘いものではなかった。たしかに、僕が想定したぐらいの勘どころは抑えることができた。でも、そんなものは、全体のごくごく一部にしか過ぎなかった。
 
昨年の経験を経たが故に、昨年は気付かなかった勘どころが新たにたくさん見えてきたからだ。もしも三度目に挑んだとしたら、そこにはきっと二度目に見えなかったものが立ち現れてくるはずだろう。つまり、無限に続くのである。
 
プロが途中でリタイアし、往年の名ドライバーであり、思慮深い砂漠の紳士である中東ポルシェのサイード・アルハジャリでさえ、見えない穴に激しくヒットさせ、その衝撃から病院送りになったほど過酷なトランスシベリアに、たかだか一回の経験など微々たるものに過ぎない。僕らの身体とカイエンが無事にゴールできたのは、ただただ幸運と偶然がもたらしただけだ。
 
断言できるのは、自然の圧倒的な大きさ、奥深さに対した人間の小ささだ。以前はイメージすらできなかったものを対比して考えられるようになったのは、冷戦の終結によるソ連邦の崩壊という社会体制の変化と、カイエンSトランスシベリアという超高性能四輪駆動車のパフォーマンスによる。経験とは、アテにするものではなく、限りなく積み重ねていかなければならないものだった