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著者コメント

地球自動車旅行

(東京書籍)

20代の中頃から30代に掛けて、週末はいつもサーキットで過ごしていた。

2月末のスペイン・ヘレスやポルトガル・エストリルで行われるF1のテストに始まって、11月末のマカオ・グランプリまで自動車レースを取材する日々だった。

F1ではアイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ゲルハルト・ベルガーといった千両役者たちが死闘を繰り広げ、グループCカーレースにはザウバーと組んだメルセデスベンツが30数年ぶりにワークス活動を復活させていた。

国内でも、ツーリングカーのグループAシリーズやF3000などが盛り上がりを見せていた。富士グランドチャンピオンシリーズなんていうレースだって、多くの観客と 野次馬を集めていた。スズキ・アルトワークス・カップという軽自動車のワンメイクレースなども取材に行っていた。

バブル前後という時期もあって、F1を頂点としたモータースポーツが、日本でもブームとなっていたのだ。

それらのレースリポートやインタビューなどを男性週刊誌やレース雑誌に寄稿することが、仕事の中心になっていた。仕事は面白かった。

どんなカテゴリーのレースでも、そこには必ず真剣な戦いの末に勝敗が下されていたからだ。
かつて、ビートたけしが義弟のF2レーサー松田秀士の出場するレースに小説家の中上健次を招待したことがあった。
「レース場なんて、金持ちのボンボンたちが遊んでいる、チャラチャラしたところだと思っていたが、大間違いだった。人間とクルマの真剣勝負の場だった」

中上は、正直に自らの認識違いを認めていた。それと同じ気持ちを、当時の僕も抱いていた。
マーケティングという、“売らんがための方策”が重層的に繰り返される自動車ビジネスの中にあって、モータースポーツだけはピュアだと信じていた。
言い訳や曖昧さが存在する余地がないからだ。

道具が勝敗を決する率が高いモータースポーツだが、ドライバーの戦いがあるとともに、レーシングマシンを巡る戦いもあって、そのアヤに触れていくほど、こちらまで戦っている気持ちにさせられた。

『地球自動車旅行』を出すことができたのは、当時は気付かなかったが、“面白かったのは、レースそのものだけではなかった”ということにあった。外国のレースを取材に行く過程も、面白かったのだ。

 

レース取材の仕事は、東京から国際電話かファクシミリかテレックス(!)で現地のホテルとレンタカーを予約するところから始まる。

成田から飛行機に乗り、着いた飛行場でレンタカーを借り出し、地図を見ながら、
サーキットを目指す。カーナビもなかったから、地図と標識だけが頼りだ。

サーキットでプレスパスを受け取り(受け取れないこともあった)、メディアセンターの机を登録する。明日から始まるレースを前にして、そうした雑事を済ませ、知り合いと情報交換などして、次はホテルへ向かう。
これも、地図と標識だけで向かう。毎年、同じ街の同じホテルに泊まれることの方が少なかった。

ホテルにチェックインし、街へ繰り出して夕食。カメラマンや編集者などが一緒だが、場合によってはひとりのこともあった。

トラブルも、よくあった。予約が入っていない、部屋がない、追突された、駐車違反でクルマが移動された、ボヤを出し掛けた等々。

海外のレースを取材するために、レンタカーを運転して旅する過程で体験したこと、教わったことなどをコラムや紀行文として、レースリポートとは別にいろいろな雑誌に書いていた。それらを読んでいてくれていたフリーランスエディターの松山郷さんが、「それぞれ書き足したり、書き下ろしたりして、海外自動車紀行文集として一冊にまとめませんか」と提案してくれたのが、『地球自動車旅行』だ。

いま読み返してみると、月並みだが、時代の変化を感じる。
インターネットと携帯電話とGPSを利用したカーナビが一切出て来ない。

自分も若い。同行した人たちや土地の人たちに教わったことを、砂に滲みる水のように吸収している。結局、自分は自動車を通じて、海外と日本について学ぶことができたのだと思う。料理人が舌でその国の料理を習得することで
その国のことを学び、日本を相対化するように、僕は地図を眺め、ハンドルとペダルを操作することで同じことを行っていたようなものだ。

時代は変化したが、日本のクルマ社会は変わっていない。

「自由に行動できるところに、クルマで旅する意味があるのだ。
不自由で、不当に高くて、不快だったら、誰もクルマでなんて旅行しなくなるのは当然だ。
旅こそ、クルマがクルマであることの長所をフルに発揮できるのに、それができないことがわかっているから、日本ではみんなクルマで旅行したがらない。
せいぜい、半ば渋滞するのがわかっていて出掛ける盆暮れの帰省ぐらいが関の山だ。
しかし、アメリカやヨーロッパは違う。日本とはそれぞれ社会環境が違うものの、
日本のように不自由で、不当に高くて、不快なクルマの旅には絶対にならない」

あとがきに書いた僕の主張は、今でも変わっていない。